出身生地 大阪府東大阪市。
出身校 神戸大学医学部。
日本人として25年ぶりのノーベル医学生理学賞を受賞した京大教授、山中伸弥氏の運勢をフォーチュン四柱推命運勢鑑定表を通して検証する。
すでに、新聞、テレビでは山中氏の研究内容と人柄を角度を変え紹介されてきた。
今回受賞の対象となったiPS細胞(人工多能性幹細胞)の論文は2006年に発表され、世界中が驚いたという。
各種臓器、神経まで、すべて作り出せる”再生医療”に道を開く画期的な発見をしたのである。
命式をみての通り、「フォーチュン」では【あなたの場合、生まれ時がわからなけれは詳しい判断ができません】とありました。五気周流する上格の命式であることは間違いはありません。他の推命家の先生方はどのようなみたてをしているのか、四柱推命 運勢鑑定 山中伸弥 で検索すると ある方は
年柱に「印綬」があります。医療関係の仕事です。と唐突に解説をしている。空亡のため「印綬」の働きが弱くなります。とあるが冲が絡んでいるので空亡の影響はない。
時柱にも「印綬」があります。生涯その仕事との縁がある可能性があります。とあった。生まれ時が分っているのか?。
「正財」の几帳面さは失いたくない・「傷官」のエネルギーが「印綬」より強いので抑えるのが大変、その結果「正官」への剋がある可能性も。一見いいように見えてどれを活かすかにより苦労する命式でもあります。と記されているがよくわからない。
研究や調査・分析の仕事は五行では「水」日干「乙(木)」に対する「水」は「偏印・印綬」になります。と解説していた。それはそうだろう。
総合的に運勢的にどうだということがわかるものではなかった。
ある方は、他の場所では自分のやったことがうまくいかなくても、それがその後につながるほかの人のためになればいいのではないとおっしゃっていたのも『乙』の人なんでしょうね。自分をよく見せたり、
格好良くみせたり、見栄を張ったりする『乙』の人間は腐ったたいしたことのない人間だけどそういうところはなさそう。と解説する。
自分をよく見せようとする人間だとやっぱり『丙』『庚』ぐらいかなあ。
乙と庚は干合だから『乙』が庚のように見せるのは腐った『乙』と言えるかもしれませんが。
山中教授は『乙』のような『乙』かもしれません。調和型、協調型なのかも。
逆にこれから、どうしようもないやからが近寄ってくるでしょうから、そういう人に気をつけた方がいいのかもしれませんが。
10月、正官の月に元々世界的な権威のある人であったと思いますが、本当に世界的なノーベル賞という称号を得たのでしょうとあった。
どの方々も根本的な運勢を鑑定しているとは思えないのである。
コメント
たまに、他の推命家の先生方々がどのようなブログを書かれているのか拝察することがある。
正直、四柱推命学の真髄を会得され鑑定されていると感じられるブログには、いまだ出会っていない。
むしろ、起きる出来事に一知半解の知識をあてはめているだけと思うものが沢山あった。
我が師匠は阿部泰山先生のお弟子さんである今田名泰先生である。
「泰山流」は命式に表れる全ての星の旺衰を見極め、全体に平衡と調和をもたらし、その人格の本領が発揮される鍵となる星(これを用神という)を定めて、人生経路にどのような運命的変化が訪れてくるのか、その運命遺伝子がどう成長していくのかを的確に読み取り、人に役立つ生き方を見据えた開運法を明確に示すことができる。
30年前、道理にかなった法則だからこそ、これを数値化にできれば、運勢をグラフで表すことができると発想し、紆余曲折しながら出来上がったのが「フォーチュン」なのです。
元命用神法のような勉強で学んでこられた方は、星の意味する単語を覚えているだけで、出来事に合わせて意味づけをするしかないのです。
個人の趣味範囲なら異論を唱えるつもりはないが、有料で人に教えたり、鑑定するなら問題があると思うところである。
阿部泰山先生の著述に記されているが、九星術のように、同年生まれた者はど同一星情で判断するため、同年生まれ人は当然同じである、といったような学問は認めないと述べておられる。
それが、九星気学 (阿部泰山流)」と名乗っている先生がいることにも、あきれてしまう。
ブログで鑑定内容を公開するなら、プロにも納得できる鑑定論理を示してもらいたいと思うところである。
山中伸弥氏のノーベル受賞ニュースで日本中が沸き立った。紹介される人間像も、どの角度からきっても好感がもてる。歴史的な偉業は、何年経っても忘れられることはないだろう。
愛国主義者と話す。国からの支援に対する感謝。(海外の大学から高待遇でのオファーがあったが日本で研究したいと断ってきたとある)仲間の人をたたえる姿勢。誠実さが伝わってくる。
同じ日本人として非常に誇らしく思う。
一献交わすことができたら、きっと楽しく酒がすすむだろうと、勝手に思うところである。