日別アーカイブ: 2012年6月21日

原 辰則氏を鑑定する

原写真東海大相模高校→東海大学→1980年のドラフト会議において、読売ジャイアンツ新監督の藤田元司が4球団競合の末に1位クジを引き当て、巨人に入団。高校野球1年生から三塁手のレギュラーとして活躍。夏の甲子園に3年連続で出場、1975年の春の甲子園にも出場する。首都大学リーグでは3度の最高殊勲選手、7度のベストナインを獲得。2年生秋と4年生春の2度の打撃三冠王になる。3年生時に日本で開催された日米野球では、早稲田大学4年生の岡田彰布と3番、4番を組み、ハワイ大と対戦した。この大会でも逆転満塁本塁打を放つなど活躍を見せる。大学4年時には、秋の明治神宮野球大会で1試合3本塁打を放つなどの活躍を見せ、「長嶋茂雄の再来」の期待をさらに大きなものにした。少年時代から長嶋の大ファン、その長嶋茂雄氏も「できることなら(永久欠番になっている)僕の3を譲りたい」と言うほどの惚れこみようだった。


原命式印星タイプですね。印星の気質は生まれもった気質と暗示を参照してください。男前で、爽やかで、はつらつとしたプレーをみせてくれるのだから人気がでないはずはない。







原大運1981年(22歳)、開幕戦からスタメン出場。22本塁打を放ち新人王を獲得。以後12年連続20本塁打以上を記録。
1983年(24歳)、初めて打率3割を記録、打点王、最多勝利打点を獲得して巨人の優勝に貢献、MVPに選ばれる。巨人での3割30本塁打100打点は青田昇、長嶋茂雄、王貞治に次ぐ球団史上4人目の快挙だった。
1986年(27歳)、前年を上回るペースで本塁打を記録していたが9月24日、対広島戦で津田恒実の直球をファールした際に左手首の有鉤骨を骨折、残り試合の欠場を余儀なくされた。この骨折は「事実上、バッター原辰徳は、この骨折の時に終わりました」と後に自らが発言する程の影響があったと記されている。これ以降、負傷した左手首に加えてアキレス腱痛などにも悩まされたという。
1998年(29歳)、結婚を発表。フォーチュン四柱推命運勢鑑定で直ちに鑑定したのを記憶している。当時の記事では原氏の初恋の人で、5つ年上の女性とあった。相手の人はバツ1であったが、自分の思いを打ち明け結婚を申し込んだとあった。選り取り見取りで結婚相手を選べる野球界のスターだっただけに、自分の純愛を貫いことする姿勢に感心したものだ。運勢的にはよくなく、反対者がでてきたり、障害となるべきものが必ずといっていいほどでてくる運気であった。
それから18年が絶った2006年、2度目の監督就任1年目(47歳)、の8月、1988年に不適切な関係をもった女性の日記のコピーがある、2人の男は「原さんが野球界から居なくなったら大変なことになる。表に出ないように私が解決するのて、私に任せなさい。それにはお金がいる」と解決金1億円を迫ったという。本来ならなど、しかるべきところに相談すべきところたが、この醜聞が表ざたになれば監督の生命は絶たれるだろうし、何よりも、「巨人軍は常に紳士たれ」の言葉に泥を塗ってしまう。「ゆすられていると思い、不安を感じた一方、私を助けてくれるのだとも解釈し、要求された現金を渡しました。苦渋の決断でした」と語っている。偏官-衰の滞運期の悪い運気通りに生きてしまったようである。
2009年4月、(50歳)、読売新聞社の事務所に「原監督に渡っている、ある女性の日記を返してほしい、返してくれないなら騒ぎを大きくする」かどと通告してきたという。8ヶ月に及ぶ脅迫事件が、暴力関係者による前代未聞の1億円恐喝事件の存在を浮かび上がらせたとある。2009年といえば若手を積極的に起用し春先から首位を快走した。クライマックスシリーズ第2ステージでは、中日相手に4勝1敗で勝利。日本シリーズでは北海道日本ハムファイターズに4勝2敗で勝利。監督として2度目の日本一を達成した。11月12日にはWBC及び日本シリーズの優勝が評価され、2度目の正力松太郎賞を受賞。11月14日にはアジアシリーズの代替大会として行われた日韓クラブチャンピオンシップにも勝利。監督としてWBC、セ・リーグ、日本シリーズ、日韓統一王者の4冠を成し遂げた。原監督が輝いていた年となった。まさか裏で脅迫事件に悩まされていたとは驚きである。推命研究会でも運勢が悪いのに好結果が残せたのは何故だろうということが題材になったことがある。その時は推測の域ではあるが、いろいろな意見はあるにあった。悪い気運は団体で行動すべきで自己の主張にこだわってはいけない、家庭内で問題があるのではないか、気運のいい者、相性のよい者に出会っていたのではないか、大運の高さが強みだという先生も、ひょとしたら専門家のアドバイスを受けていたのではないかと意見もでていた。週刊誌の報道でいろいろ問題を抱えていたことが判ったが、過去を検証していくと結構、運勢通りに歩んでいる人だと思うのである。



コメント

世の中には華がある人がいる。華は天性から備わってくるものだと考える。華がある人は登場するだけで、その場が明るくなってしまう何かをもっている。晴れ舞台が絵になる、チャンスの場面に強く、ピンチでにあっても流れを変えてくれそうな雰囲気をもっている。代表的な人といえば長嶋茂雄氏であろう。一時期、原監督のインタビューの答え方が長嶋監督をまねているようだと批判さていたことがある。2009年3月第2回、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で原辰徳監督率いる「