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文部科学大臣 田中真紀さを鑑定する
出身生地 東京都文京区。本籍地は新潟県柏崎市。
出身校 早稲田大学商学部
所属政党 自由民主党→無所属→民主党
現職 越後交通取締役副社長。
推研(四柱推命を勉強している人達) その会からよく注文をいただく。その人達にとってフォーチュン四柱推命運勢鑑定表が答え合わせの教材にしているとに訊き光栄に思う次第であるます。今回の研究題材は「大学不認可騒動」で騒動を起こした田中真紀さん。推研の皆さんは、話題にのぼっている人物の言動、立ち振る舞いからから気質、また運勢を推理し合っているという。この方法は多くフォーチュン仲間がよく実践していることであり、ひとりが答えを把握していて酒を交わしながら予想させるのも楽しいものだ。自然に鑑定力をつけるいい方法である。推研の人達は生まれもった気質と暗示は十分に理解されいる、それでも意見が分かれ、なかなか絞りきれなかったという。
食神-官星タイプです。一番多くあった意見は食神タイプだったそうです。さすがの推研の皆様も食神-官星タイプをズバリいいあてるのは難しかっようです。
生まれ持った気質と暗示で説明する図でで説明すれば飛び飛びの五行が偏るタイプ、たとえば①③の比劫-財星タイプ②と④の食神-官星タイプなどの異なる性格要素が混在するタイプは、数をこなさないと、あてることは難しいと言えるでしょう。
2001年小泉内閣誕生に際しては総裁選での応援を買って出るなどして高支持率に貢献。4月、外務大臣に抜擢される。しかし、実務においては様々なトラブルを引き起こし2002年、事務方との対立に起因する外相更迭になる。それでも当時は世論の圧倒的多数が更迭に反対して田中を支持した。直後に自らの秘書給与問題が浮上し、結果的に議員辞職に追い込まれた。
ブログを書くにあたってため田中さんの人物像に関する記録を集め、よい評価する記事を探したが、探しだせなかった。ご存じのように真紀子氏に他の政治家に対して、単なる「悪口」や人格への「中傷」が際立って多く、批判が多い。論理的な政策批判や自己の信念に基づく理念・政策を欠いているとの指摘がある。今回の「大学不認可騒動」でも大臣の威厳を示すための材料を探していたところに、来春開校予定の大学三校を不許可にすることに存在感をアピールしたとある。自らの判断がすべて国益に合致すると妄想しているのではないか。こんなタイプに権力を持たせるのがいちばん怖い。といった記事もあった。
では田中真紀子さんの「フォーチュン」の運勢傾向をご照会しましょう。
◆…【滞運】正官年
この年の運気はよくありません、自分を売り出そうという意欲、また周囲から期待を寄せられいる要因が、気持ちだけを焦せらせ精神的に落ち着かない周期でしょう、自分なりに頑張っているつもりでも上役にあまり良い評価を受けなかったりする時なのです、神経が必要以上に過敏になる時だけに、ちょっとしたことが気分を雲らし、やる気を半減させてしまう嫌いがあるのです、仕事を放り出すのではなく、むしろ負けず嫌いな面がでて自分の義務だけはやろうとするでしょう。しかしそこには事務的感覚しか残らず好印象を与えません、せっかく、やるべきことをしているのに損なことです、やはり同じことをしていても明るく、気持ち良くやる人と自分の義務だけ果たしている人では、おのずと評価が違ってくるのです、内面ではわかってほしい気持ちがありながら、表向きにはつっぱった態度であらわれる傾向がある時期なのです、自分を受け入てくれる時ばかりではありません、かたくなに意地を通すばかりでは疲れるだけです、晴れの日もあれば雨の日もある、いちいち気持ちまで変わっていては、あなたの良さが発揮できません、この年にアドバイスをするならば、気持ちにゆとりを持つことです、暖かい環境を求めて逃避するのでは、根本的な解決とは言えません、暖かさを自分から呼びよせる努力をして下さい、ストレスがたまる時なので気分転換を図ることも忘れないよう。
以上が田中さんの2012度の「フォーチュン」の原文です。
人生を前向きに、積極的に歩むということは運勢を知って進むことも大事なこであると改めて申し上げてる次第であります。
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野田首相は11月14日の党首討論で異例の「解散」に言及し本日、16日、午後に衆院本会議で解散詔書が読み上げられる。田中真紀子氏は新党結成を表明した石原慎太郎氏について、「暴走老人で大変だ」と石原氏をこき下ろした。それを受けて、「暴走老人」の石原ですと挨拶の掴みに使うところはさすがである。それよりも次期総選挙に当選して国会に戻ってこれるのか、運勢的には逆風が吹いている、そして、運勢の流れ通りの生きてしまっている。父、田中角栄氏が築いてきた七光りの財産を使い果たしたのではないだろうかと心配するところである。
ノーベル医学生理学賞受賞者 山中伸弥氏を鑑定する
出身生地 大阪府東大阪市。
出身校 神戸大学医学部。
日本人として25年ぶりのノーベル医学生理学賞を受賞した京大教授、山中伸弥氏の運勢をフォーチュン四柱推命運勢鑑定表を通して検証する。
すでに、新聞、テレビでは山中氏の研究内容と人柄を角度を変え紹介されてきた。
今回受賞の対象となったiPS細胞(人工多能性幹細胞)の論文は2006年に発表され、世界中が驚いたという。
各種臓器、神経まで、すべて作り出せる”再生医療”に道を開く画期的な発見をしたのである。
命式をみての通り、「フォーチュン」では【あなたの場合、生まれ時がわからなけれは詳しい判断ができません】とありました。五気周流する上格の命式であることは間違いはありません。他の推命家の先生方はどのようなみたてをしているのか、四柱推命 運勢鑑定 山中伸弥 で検索すると ある方は
年柱に「印綬」があります。医療関係の仕事です。と唐突に解説をしている。空亡のため「印綬」の働きが弱くなります。とあるが冲が絡んでいるので空亡の影響はない。
時柱にも「印綬」があります。生涯その仕事との縁がある可能性があります。とあった。生まれ時が分っているのか?。
「正財」の几帳面さは失いたくない・「傷官」のエネルギーが「印綬」より強いので抑えるのが大変、その結果「正官」への剋がある可能性も。一見いいように見えてどれを活かすかにより苦労する命式でもあります。と記されているがよくわからない。
研究や調査・分析の仕事は五行では「水」日干「乙(木)」に対する「水」は「偏印・印綬」になります。と解説していた。それはそうだろう。
総合的に運勢的にどうだということがわかるものではなかった。
ある方は、他の場所では自分のやったことがうまくいかなくても、それがその後につながるほかの人のためになればいいのではないとおっしゃっていたのも『乙』の人なんでしょうね。自分をよく見せたり、
格好良くみせたり、見栄を張ったりする『乙』の人間は腐ったたいしたことのない人間だけどそういうところはなさそう。と解説する。
自分をよく見せようとする人間だとやっぱり『丙』『庚』ぐらいかなあ。
乙と庚は干合だから『乙』が庚のように見せるのは腐った『乙』と言えるかもしれませんが。
山中教授は『乙』のような『乙』かもしれません。調和型、協調型なのかも。
逆にこれから、どうしようもないやからが近寄ってくるでしょうから、そういう人に気をつけた方がいいのかもしれませんが。
10月、正官の月に元々世界的な権威のある人であったと思いますが、本当に世界的なノーベル賞という称号を得たのでしょうとあった。
どの方々も根本的な運勢を鑑定しているとは思えないのである。
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たまに、他の推命家の先生方々がどのようなブログを書かれているのか拝察することがある。
正直、四柱推命学の真髄を会得され鑑定されていると感じられるブログには、いまだ出会っていない。
むしろ、起きる出来事に一知半解の知識をあてはめているだけと思うものが沢山あった。
我が師匠は阿部泰山先生のお弟子さんである今田名泰先生である。
「泰山流」は命式に表れる全ての星の旺衰を見極め、全体に平衡と調和をもたらし、その人格の本領が発揮される鍵となる星(これを用神という)を定めて、人生経路にどのような運命的変化が訪れてくるのか、その運命遺伝子がどう成長していくのかを的確に読み取り、人に役立つ生き方を見据えた開運法を明確に示すことができる。
30年前、道理にかなった法則だからこそ、これを数値化にできれば、運勢をグラフで表すことができると発想し、紆余曲折しながら出来上がったのが「フォーチュン」なのです。
元命用神法のような勉強で学んでこられた方は、星の意味する単語を覚えているだけで、出来事に合わせて意味づけをするしかないのです。
個人の趣味範囲なら異論を唱えるつもりはないが、有料で人に教えたり、鑑定するなら問題があると思うところである。
阿部泰山先生の著述に記されているが、九星術のように、同年生まれた者はど同一星情で判断するため、同年生まれ人は当然同じである、といったような学問は認めないと述べておられる。
それが、九星気学 (阿部泰山流)」と名乗っている先生がいることにも、あきれてしまう。
ブログで鑑定内容を公開するなら、プロにも納得できる鑑定論理を示してもらいたいと思うところである。
山中伸弥氏のノーベル受賞ニュースで日本中が沸き立った。紹介される人間像も、どの角度からきっても好感がもてる。歴史的な偉業は、何年経っても忘れられることはないだろう。
愛国主義者と話す。国からの支援に対する感謝。(海外の大学から高待遇でのオファーがあったが日本で研究したいと断ってきたとある)仲間の人をたたえる姿勢。誠実さが伝わってくる。
同じ日本人として非常に誇らしく思う。
一献交わすことができたら、きっと楽しく酒がすすむだろうと、勝手に思うところである。
原 辰則氏を鑑定する
東海大相模高校→東海大学→1980年のドラフト会議において、読売ジャイアンツ新監督の藤田元司が4球団競合の末に1位クジを引き当て、巨人に入団。高校野球1年生から三塁手のレギュラーとして活躍。夏の甲子園に3年連続で出場、1975年の春の甲子園にも出場する。首都大学リーグでは3度の最高殊勲選手、7度のベストナインを獲得。2年生秋と4年生春の2度の打撃三冠王になる。3年生時に日本で開催された日米野球では、早稲田大学4年生の岡田彰布と3番、4番を組み、ハワイ大と対戦した。この大会でも逆転満塁本塁打を放つなど活躍を見せる。大学4年時には、秋の明治神宮野球大会で1試合3本塁打を放つなどの活躍を見せ、「長嶋茂雄の再来」の期待をさらに大きなものにした。少年時代から長嶋の大ファン、その長嶋茂雄氏も「できることなら(永久欠番になっている)僕の3を譲りたい」と言うほどの惚れこみようだった。
印星タイプですね。印星の気質は生まれもった気質と暗示を参照してください。男前で、爽やかで、はつらつとしたプレーをみせてくれるのだから人気がでないはずはない。
1981年(22歳)、開幕戦からスタメン出場。22本塁打を放ち新人王を獲得。以後12年連続20本塁打以上を記録。
1983年(24歳)、初めて打率3割を記録、打点王、最多勝利打点を獲得して巨人の優勝に貢献、MVPに選ばれる。巨人での3割30本塁打100打点は青田昇、長嶋茂雄、王貞治に次ぐ球団史上4人目の快挙だった。
1986年(27歳)、前年を上回るペースで本塁打を記録していたが9月24日、対広島戦で津田恒実の直球をファールした際に左手首の有鉤骨を骨折、残り試合の欠場を余儀なくされた。この骨折は「事実上、バッター原辰徳は、この骨折の時に終わりました」と後に自らが発言する程の影響があったと記されている。これ以降、負傷した左手首に加えてアキレス腱痛などにも悩まされたという。
1998年(29歳)、結婚を発表。フォーチュン四柱推命運勢鑑定表で直ちに鑑定したのを記憶している。当時の記事では原氏の初恋の人で、5つ年上の女性とあった。相手の人はバツ1であったが、自分の思いを打ち明け結婚を申し込んだとあった。選り取り見取りで結婚相手を選べる野球界のスターだっただけに、自分の純愛を貫いことする姿勢に感心したものだ。運勢的にはよくなく、反対者がでてきたり、障害となるべきものが必ずといっていいほどでてくる運気であった。
それから18年が絶った2006年、2度目の監督就任1年目(47歳)、の8月、1988年に不適切な関係をもった女性の日記のコピーがある、2人の男は「原さんが野球界から居なくなったら大変なことになる。表に出ないように私が解決するのて、私に任せなさい。それにはお金がいる」と解決金1億円を迫ったという。本来ならなど、しかるべきところに相談すべきところたが、この醜聞が表ざたになれば監督の生命は絶たれるだろうし、何よりも、「巨人軍は常に紳士たれ」の言葉に泥を塗ってしまう。「ゆすられていると思い、不安を感じた一方、私を助けてくれるのだとも解釈し、要求された現金を渡しました。苦渋の決断でした」と語っている。偏官-衰の滞運期の悪い運気通りに生きてしまったようである。
2009年4月、(50歳)、読売新聞社の事務所に「原監督に渡っている、ある女性の日記を返してほしい、返してくれないなら騒ぎを大きくする」かどと通告してきたという。8ヶ月に及ぶ脅迫事件が、暴力関係者による前代未聞の1億円恐喝事件の存在を浮かび上がらせたとある。2009年といえば若手を積極的に起用し春先から首位を快走した。クライマックスシリーズ第2ステージでは、中日相手に4勝1敗で勝利。日本シリーズでは北海道日本ハムファイターズに4勝2敗で勝利。監督として2度目の日本一を達成した。11月12日にはWBC及び日本シリーズの優勝が評価され、2度目の正力松太郎賞を受賞。11月14日にはアジアシリーズの代替大会として行われた日韓クラブチャンピオンシップにも勝利。監督としてWBC、セ・リーグ、日本シリーズ、日韓統一王者の4冠を成し遂げた。原監督が輝いていた年となった。まさか裏で脅迫事件に悩まされていたとは驚きである。推命研究会でも運勢が悪いのに好結果が残せたのは何故だろうということが題材になったことがある。その時は推測の域ではあるが、いろいろな意見はあるにあった。悪い気運は団体で行動すべきで自己の主張にこだわってはいけない、家庭内で問題があるのではないか、気運のいい者、相性のよい者に出会っていたのではないか、大運の高さが強みだという先生も、ひょとしたら専門家のアドバイスを受けていたのではないかと意見もでていた。週刊誌の報道でいろいろ問題を抱えていたことが判ったが、過去を検証していくと結構、運勢通りに歩んでいる人だと思うのである。
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世の中には華がある人がいる。華は天性から備わってくるものだと考える。華がある人は登場するだけで、その場が明るくなってしまう何かをもっている。晴れ舞台が絵になる、チャンスの場面に強く、ピンチでにあっても流れを変えてくれそうな雰囲気をもっている。代表的な人といえば長嶋茂雄氏であろう。一時期、原監督のインタビューの答え方が長嶋監督をまねているようだと批判さていたことがある。2009年3月第2回、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で原辰徳監督率いる「
祝ご結婚 田中将大投手、黒田まいさん
3月20日、田中将大投手とタレントの里田まいさんが婚姻届を提出したと発表された。田中将大選手が全国的に一躍名を馳せたのは2006年の甲子園であろう。史上2校目になる夏、3連覇が懸かった小牧高等学校と『ハンカチ王子フィーバー』を巻き起こした早稲田実業学校の斎藤佑樹選手との決勝戦の投げ合いは大会屈指の試合であった。田中選手は大会直前から体調を崩し本来の力が出せなかったという。それでも早稲田実業との決勝戦では3回途中からリリーフ登板して延長15回まで1失点。一方、早実の斎藤佑樹も1失点で完投し、37年ぶりの決勝引き分け再試合となった。再試合では1回途中からリリーフして接戦の末、3-4で敗れはしたものの。同年、9月の高校生ドラフト会議において、日本ハム、オリックス、横浜、楽天から1巡目指名を受けほど実力は認められていた。最速150Kの速球と高速縦スライダーを武器に、高校通算奪三振数、奪三振率とも怪物と称された横浜高校の松坂大輔選手を上回り、周囲からは世代最強エースと評された。昨年は楽天に入団して最多の19勝(5敗)、勝利数と防御率、勝率の三冠に輝き、沢村賞を獲得している。
比劫-印星タイプですね。日干庚-戌月生まれと月令を得て強いうえに、もらう力となる印星も強い星情です。身旺身弱点が16.66と身旺すぎる嫌いがあります。守ろうとする資質が少ない命式ですから、強気で前進しているときの馬力は相当なものとなるのです。反対に守りの武器をもたない星情は守り方が判らなくなってしまう資質とも言えるのです。また、変人、奇人の星といわれる偏印星が3つあることも注目すべき点です。
五行土が偏る命式は大運ランクの浮き沈みがあるのは、致しかたがありません。運気背景が高かっただけに、今までが何もかも自分の実力と勘違いをしていたら、誤算が生まれるかも知れませんね。推命はどのように構え、どのように対応するのかを学べる学問です。
今年はまずまずの運気です。ただ、表示していませんが、行運暗示に冲(月)がでています。不注意を起こしやすい年ですから気をつけること。
田中将大さんの吉凶歴です。勝負運と直接関連しませんが、参考にされて活躍をみてみるのも面白いかも知れません。
結婚届を出された3月20日は確かに大安です。本当は田中さん、黒田さんの吉凶歴をみて運気のよい日を選んでもらいたかったですね。
黒田まいさんの命式で赤文字が表示されています。これは命式の見方その3で説明する。特殊化気になりうる命式です。生まれ時によっては日干壬が甲、月干丁が乙に変化するのです。推命を勉強されている方には、いい例題になるでしょう。
では生時が何時だったら、この化気の法則に該当するのでしょう。
【該当する時間】 時柱干 支
午前 0時~午前 1時まで 庚子
午前 5時~午前 7時まで 癸卯
午前 7時~午前 9時まで 甲辰
午前11時~午後 1時まで 丙午
午後 7時~午後 9時まで 庚戌
仮に生まれ時が午前5時にすると
日干、月干が化気しました。すると剛毅な比劫タイプとなる。化気する時間帯はほぼ同じである。テレビで拝見する印象では、姉御肌ではないように見受けられ化気している時間帯には生まれていないように推測します。
ならば化気しない時間帯で鑑定してみた。ほぼ左記のような命式になる。食傷の星がやや強く離婚しやすい命式となるが、田中選手のよい五行木が多くあるので相性は悪くない。
これに従えば大運このようになる。
このように特殊命式になる可能性があっても人手では、どうしても見逃してしまうケースである。
コメント
ダルビシュ選手が大リーガーに移籍して、日本の本格投手の一番手に名があげられる存在となった。一方、黒田さんは北海道札幌市出身、2006年に放送された『ヘキサゴンII』に出演したのを契機に木下優樹菜さん、スザンヌさんとともに「おバカキャラバラドル」として一躍ブレイク。小学校6年生から高校までソフトテニスを続け、札幌大谷高校にはテニスで推薦入学。高校では部長を務め、道大会準優勝、全国大会出場の経験がある。乗馬も得意で、デビュー当時に全くの初心者から3ヶ月で技術を取得、花畑牧場のホースショーでは馬に鞍を装着せず裸馬で騎乗したという。本職は歌手で「カントリー娘」のメンバーである。『第59回NHK紅白歌合戦』では「羞恥心 with pabo」として初出場した。2009年12月