出身地 千葉県佐倉市、千葉県立佐倉第一高等学校→立教大学→ 読売ジャイアンツ入団(1958-1974) 5月5日に東京ドームでの巨人対広島戦で国民栄誉賞授賞式が行われる。贈賞を決めた安倍首相自身、「むしろ遅すぎた」とコメントする。
今回の受賞。そもそも、「国民的スター」の座をほしいままにしてきた長嶋氏が、なぜ今まで受賞できなかったのか。それはこれまで、ミスターに授与するタイミングを逸してきたからという。
国民栄誉賞とは「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者について、その栄誉をたたえることを目的として設立された」とある。まさに長嶋茂雄氏に称号されるべき賞であると誰しも思うことである。
さっそく、どのような運勢の持ち主か、「フォーチュン四柱推命運勢鑑定表」を通して検証してみましょう 。


MVP:5回(1961年、1963年、1966年、19868年、11971年)※歴代2位タイ。
日本シリーズMVP:4回 (1963年、11965年、1969年、1970年)※歴代1位。
日本シリーズ優秀選手賞:2回 (1966年、1972年)
日本シリーズ打撃賞:2回 (1969年、1970年)
野球殿堂入り(競技者表彰:1988年
動物的感と言われた野球センスでベースボールにあることは何でもやってのけた、まさにミスター野球人である。
グラウンドに姿を現しただけで、一瞬にして球場の空気を変えられる。そんな人はそういまい。
長嶋さんは、現役時代も、監督時代も、そして現在でもそういう存在である。
2004年3月4日(68)、脳梗塞で脳梗塞で倒れられた。
しかし、倒れてからの6年。テレビに出演され元気な姿をみせてくれた。
リハビリは苦しく、つらいものです。「なぜ、続けられるのか」と自問自答することもある。そ
んな時に思い出すのは選手時代の練習です。私も誰よりも練習したという自負があったから、どんな投手にも、誰にでも勝てると信じていた。けれども、こういう相手のいる戦いは、ある意味では簡単なんですね。リハビリには目標になる外部の“敵”がいないんです。敵は内部にいる。弱気になる自分ですね。効果が上がらない、苦しい、それで止めてしまう。そんな意志の弱い自分が敵になります。私は負けるのは相手が自分でも嫌でした。そんな弱い自分に「勝とう」と決めました。気持ちをアグレッシブにもって「やるからには勝ってやる」。それで、ここまで来ましたと語った。
野村克也氏は彼は紛れもない天才打者だった、正直、私には長嶋の攻略法がわからなかったと語った。
集中力が桁外れで、『野球』、『バッティング』などと考え始めると周りが全く眼中に無くなるという。
一方で王選手は「長嶋さんは宇宙人です」」と言わしめたほど偉大な天然ボケの代表選手だったとのこと。数々の逸話は沢山ありすぎて書きだせないぐらいだ。
むしろこのボケによって親しみを感じさせ、長嶋氏が皆から圧倒的に愛される理由の一つになっているようです。
長嶋氏は天真爛漫・おおらかと形容され、王貞治がのマジメ・神経質と対比させて語られる事が多いが、身近な人によると全く逆だそうである。
いろんな要素を鑑みて運勢的に判断すると時柱に偏印星がでていたり、五行金が太過する印星風ではないかと考察するところである。
イチロー 1973/10/22 08:43
松井秀喜 1974/06/12 01:10
長嶋茂雄 1936/02/20 08:00
田中角栄 1918/05/04 14:00
羽生善治 1970/09/27 07:34
松田聖子 1962/03/10 17:05
美空ひばり 1937/05/29 05:00
山口百恵 1959/01/17 08:00
麻原彰晃 1955/03/02 03:34
野茂英雄 1968/08/31 01:10
貴乃花光司 1972/08/12 21:44
松坂大輔 1980/09/13 09:36
この情報が本当なら推命家が飛びつくよう有り難いデータになる。
さっそく、長嶋茂雄氏を四柱で鑑定してみる。

五気周流する上格の命式になる。


何故、印星風になるのではと推測したかと申しますと、まず、一芸に秀でていること、反面、数々の間の抜けたエピソードが多くあったこと、そして2004年3月4日(68)、脳梗塞で脳梗塞で倒れられた。
それならば、秋運はもっと低いランクになるのではないかと判断したからです。
























伊達公子さんの運勢は前々から興味を思っていたが、鑑定は今になってしまった。9月27日 東レ・パンパシフィックテニスで昨年の覇者である元世界ランク1位のマリア・シャラポワ(23)に勝ったという胸のすくようなニュースが飛び込んできた。1996年(平成8年)11月引退。2008年(平成20年)、37歳にして12年ぶりにツアープレーヤーとして再びコートに立つことを表明。復帰した理由を「世界と戦うためではなく、若い選手へ刺激を与えるため」と語っていた。体力の衰えを感じて引退を決意したのに、指導者ではなく現役復帰?と首をかしげた。復帰後ツアーレベルでも9戦全敗と勝利の壁に弾かれていた。しかし、国内の大会では優勝を飾るというニュースはときどき入ってくる。若手の伸び悩みなのか、それとも選手層の薄さかは分からないが国内においては、いまだトップレベルの実力者であることを自ら証明した。

世界陸上ベルリン大会をレポートする高橋尚子さんをテレビで拝見、いつもながらのさわやかな笑顔がそこにあった。気のせいか女っぽく、綺麗になったように感じた。これは恋をしていると直感した、さっそく、「
ご公務でカナダを訪問されている両陛下をニュースで拝見しました。小児病棟に行かれた際、入院中の子供達の前で、美智子様が「ゆりかごの唄」を歌われた。子供たちは言葉がわからなくとも心のこもった優しいお声に温かさが伝わったと思います。テレビを通して子守唄を聴かれた人達も温かいオーラに包まれたことでしょう。美智子さまといえば昭和34年初めての民間出身の皇太子妃となられたのですが、皇太子妃には旧皇族・華族から選ばれるのが当然と考えられていた時代であり、旧皇族・旧華族の婦人たちから、成婚後も長く続く猛烈な反発と陰湿かつ苛烈な批判を受け続けたとされ、美智子妃の心労は少なからぬものがあったといわれているています。清楚で知的な美智子さまの姿は絶大な人気を集め、ミッチブームを起こしものだ。あれから半世紀、お姿を拝見するだけで歳月の足あとの感慨にふけてしまいます。
2009年6月25日の新聞紙面に、第67期名人戦七番勝負の第7局は24日夜、羽生善治名人(38)が郷田真隆九段(38)に快勝して名人位を堅持。タイトル獲得を計73期に伸ばし、大山康晴十五世名人の最多記録80期にまた一歩近づいたとの記事があった。小学生将棋名人戦で優勝後、奨励会に入り1年余で6級から初段に昇段するなど驚異的な速度で昇級・昇段を重ね、1985年14歳のとき三段において13勝4敗を記録、四段に昇段し、加藤一二三、谷川浩司に続く史上3人目の中学生棋士となった。デビュー直後の1986年度に、全棋士中で1位となる勝率(0.741)を記録し、将棋大賞の新人賞を受賞する。現在において通算タイトル獲得数は、大山康晴に次いで歴代2位。全7タイトル戦のうち6つで永世称号の(永世名人(十九世名人)・永世棋聖・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世王将)。数々の実績から、将棋史上最強格の棋士の一人に挙げられる。忘れもしない1985年といえばせ「フォーチュン四柱推命運勢鑑定表」のソフトがほぼ完成した頃でした。世間の注目を浴びている羽生青年の運勢をさっそく鑑定してみて「やっぱり」と思ったのを記憶しています。


